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「ノルマントン号事件」

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18861024日夜、嵐の中、横浜から神戸に向かっていたイギリスの貨物船ノルマントン号が、熊野灘・潮岬沖で遭難し沈没。

イギリス人の船長ドレイクをはじめ船員は4隻のボートに乗り移り、翌朝船長たち14人が乗った2隻のボートは和歌山県串本に漂着した。

さらに、まだ漂流していた残りの2隻を探すため、荒波をおして串本から9隻のカツオ船に141人の漁民が分乗し捜索に出た。串本の漁民の捜索によって漂流中の2隻は発見され25人が救助された。

ところがその後、ノルマントン号には日本人も25人乗船していて、日本人は全員が行方不明になっていることがわかってきた。彼らは一人も発見されず全員が死亡した。

 助かったイギリス船員らは全員救命ボートで避難しているため、イギリス船長が、適切な避難誘導をせずに、乗客である日本人を見殺しにしたのではないかと疑いがもたれた。

 

 裁判で、イギリス船員は、「日本人に救命ボートに移るよう指示したが、日本人乗客は船内から出ようとしなかった。そのため、やむなくそのままにした。」と証言。「やむを得ず放置したのは、日本人乗客が英語を理解できなかったためだ」と釈明した。

 判決は、この言い分が認められドレイク船長らイギリス人全員が無罪となった。
この裁判で無罪という判決を知った日本国民の世論は沸騰。国民の抗議と怨嗟の声に動かされた日本政府は再審理を要求。再審理によってドレイク船長のみ、禁錮3ヶ月の刑が言い渡された。
 

なぜ、このような甘い判決が出たのかというと、その背景には、1858年の日米修好通商条約がある。日米修好通商条約では、二つの不平等な内容が盛り込まれていた。

  第六条 「日本人に対し法を犯せるアメリカ人は、アメリカ領事裁判所にて      吟味の上アメリカの法度を以て罰すべし。アメリカ人に対し法を犯したる日本人は日本役人糾しの上日本の法度を以て罰すべし。」これを領事裁判権というが、アメリカ人が日本で罪を犯した場合、通常なら日本の法律に基づいて裁判を行うが、領事裁判権とは、アメリカ側が裁判を行う権利を認めたものだ。結果的に、アメリカ人は日本で何をやっても無罪となった。

 江戸幕府は、「アメリカと条約を結んだのなら我が国とも結べ」と要求され、日米修好通商条約と同じような内容の条約をイギリス、フランス、ロシア、オランダとも結ばざるを得なかった。

 
このことが、条約締結後28年目に起こったノルマントン号事件で露骨に出た。ノルマントン号事件の後、江戸時代に結んだ不平等条約を改正するために本気になって取り組んだ日本は、1894年、外務大臣・陸奥宗光によって領事裁判権の撤廃を実現した。

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