お市の方
お市の方(1547年~1583年6月14日)は、織田信長の妹で信長とは13歳離れている。
嫁いだ浅井長政との間に茶々(豊臣秀吉側室)・初(京極高次正室)・江(徳川秀忠継室)の3人の娘がいる。孫には豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子・千姫・徳川家光・徳川和子(江の娘、息子)など。徳川和子は後水尾天皇の中宮となり、その娘は明正天皇となったので、今上天皇の先祖に当たる人物でもある。
『信長公記』によれば、1567年、20歳で近江国の浅井長政に嫁ぎ、この婚姻によって織田家と浅井家は同盟を結んだ。
1570年、信長が浅井氏と関係の深い越前国の朝倉義景を攻めたため、浅井家と織田家の友好関係は断絶した。しかし、長政と市の夫婦関係は周りが羨むほど仲睦まじかったという。
長政が姉川の戦いで敗北した後、1573年に小谷城が陥落し、長政とその父・久政も信長に敗れ自害した。市は3人の娘「茶々」「初」「江」と共に救出され織田家に引き取られるが、長男の「万福丸」は捕われて殺害され、次男の「万寿丸」は出家させられる。その後は信長の許しを得て、清洲城にて兄の信包の庇護を受け、三姉妹と共に9年余りを平穏に過ごした。この時の信長は、市や三姉妹のことを気にかけ、贅沢をさせた。
しかし、1582年、本能寺の変で信長が死ぬと、この年、柴田勝家と再婚する。
翌1583年、夫の勝家が羽柴秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れ、その後勝家と共に越前北ノ庄城内で自害した。享年37。
市は戦国一の美女と賞され、さらに聡明だったとも伝えられる。
肖像画が高野山持明院蔵に残されている。(モデルは長女の茶々)
織田家は美男美女の家系で知られるが中でも市やその姉・犬の美しさは有名である。37歳の時点で、実年齢よりもはるかに若い22、23歳に見えるほどで、とても5人の子を産んだようには見えなかったと記録に残されている。
画像は、高野山持明院に残されている市の肖像画。
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