これは、1689年5月13日平泉で、松尾芭蕉が、150日間にわたる奥州の旅の途中に詠んだ俳諧です
平泉に夏草が生い茂る風景を目の当たりにして、奥州藤原氏の栄華は跡形もなく、その儚さと源義経の流星の光芒のような人生を偲んで詠んだものです。
旅を始めて44日目、芭蕉は平泉でもう一つの句を詠んだ。
この後、芭蕉は中尊寺を訪れ、美しい金色堂を参詣し、次の句を詠んだ。
「五月雨の降り残してや光堂」
光堂とは金色堂のことで、あらゆるものを朽ち果てさせる五月雨にも耐えて、金色堂だけは500年経っても色あせずに美しいままだ、と詠んでいる。
中尊寺は、藤原清衡が1105年から造立に着手し、1124年、金色に輝く金色堂が完成した。