「医戒」
緒方洪庵は、大阪で医業を開くとともに適塾をつくって後進の育成も行った。
福沢諭吉も適塾生となったが、福沢諭吉が緒方洪庵の弟子となったのは、以下の「医戒」を読めば、うなずける。
緒方洪庵が、20年の歳月を費やしクリストフ・ウィルヘルム・フーフェラントが著した「EnchiridionMedicum」を翻訳し1857年「扶氏経験遺訓」30巻を出版している。
「医戒」は、「扶氏経験遺訓」の巻末にある医業にある者に対する戒めで、緒方洪庵が後進への戒めとして説いた12箇条を指すが、教員である私にとっても、仕事に臨むうえできわめて教訓となるもので尊重している。
「医戒」
一、医業は己のためではなく、本来、人のために行うものである。
楽をしようとせず、名誉や利益を求めず、
己を捨てて、ただ人を救うことのみを求めるべし。
人の命を守り、病を治し、
患者の苦しみを理解することに専念するべし。
一、病に対してはただ患者を診るべし。
人の貴賤や貧富を顧みることなかれ。
長者の一握の黄金と貧しい人の感謝の涙を比べ、
心に得るものはどうであろうか。深く考えるべし。
一、医術を行うにおいては患者のために考えるのであり、
患者を手段として考えるべきではない。
自分の考えに固執せず、ただ闇雲に試みるのではなく、
詳細を観察し見逃さないことを心懸けるべし。
一、学術研鑽(けんさん)の余り、
普段の言動及び行動で患者からの信頼を得られるよう努力すべし。
流行の服を着たり、真実ではない奇説で
人の注目を浴びようとする事を恥とすべし。
一、毎日、昼の診察を夜に筆記することを日課とし、
それが積もり書となれば己のため、患者のためとなる。
一、往診ではおろそかに足繁く患者を診るよりも、
一度の往診に細心の注意を心懸けるべし。
しかし、自尊心のために診察しないのは甚だ忌むべきなり。
一、不治の病の患者にはその苦しみを理解し、
その命を保とうとするのは、医師の務めなり。
諦めてしまうのは人道に反する。
たとえ救えなくても、これを慰めるのは仁術である。
片時も延命について考えるべし。
決して不治を言動や行動から患者に知られてはいけない。
一、患者の金銭的負担を軽くする努力を考えるべし。
命を救っても、その命を繋ぐための金銭まで奪ってしまっては、
何のためにもならない。貧しい人には相応の対応が必要である。
一、世間の人々から好意を得なければならない。
学術に優れ、言行が厳格であっても、人々の信頼が得られなければ、
医療を施すことは出来ない。
俗になりすぎるべきでもない。殊に医療は人の身命を托され、
裸で患者とっては屈辱ともいえる
個人的な秘密も聞かなければならない。
常に篤実温厚を心懸け、多言をせず、言動を慎むべし。
博打、酒煙草などに溺れることは論外である。
一、同業者を敬い愛すべし。他の医者を批判することなかれ。
人の短所をあげつらうのは己が小人であるが故である。
一時のみを見て取られ、一生を推し量られてしまう。
それは大きな損失となる。
それぞれの医師にはそれぞれの遣り方がある。
ただ批判するべきではない。
老医は敬うべし。若輩は親愛すべし。
もし患者が前の医師の得失を問うたならば、努めて得を伝えるべし。
その方針についての評価は診察しないうちは言うべぎではない。
一、治療費についての協議は少人数で行うべし。
3人までが限度である。
殊にそれがどんな人なのかを選ぶべきである。
ただ患者の安全のみを考え、
他事は考えず、決して争いにしてはいけない。
一、患者から医師を変えたと打ち明けられたら、
話に乗るべきではない。
先にその医師に告げ、その話を聞かなければ、
治療に取りかかってはいけない。
しかし、その医師が誤った治療をしているならば、
それを看過する事は、医師として出来ない。
殊に命に関わる病においては手遅れにならないようにすべきである。
これは、医者だけではなくそれ以外の専門職、
教師、弁護士、会計士をはじめいずれの職業にも関係する
貴重な戒めであって、読んでいて納得できるものばかりである。