この世はどんな世
平安時代、貴族の世の中になって、藤原氏をはじめ貴族たちは、人を傷つけたり、死にかかわったりすることを嫌ったため、奈良時代にあった兵役の義務や警察の仕事が形骸化し、世の中は犯罪が多発した。
そのため、生きている間は「憂き世(うきよ)」だが「せめてあの世では極楽で往生したい」と浄土信仰が起こった。藤原道長・頼通親子の頼通が宇治に平等院鳳凰堂を造ったのも、生きている間から、庶民が憧れてやまない極楽浄土をみせてやりたいというコンセプトから建造されたものだ。
しかし、「憂き世」を打ち破るために、有力農民が武士となり、やがて源氏と平氏の二派に分かれて覇権を争った。
ところが、鎌倉、室町、戦国時代と、しばしば戦乱は起こり、ほかにも天災や飢饉など、「憂き世」から抜け出すことはできなかった。
100年以上続いた、戦国時代が終わり、江戸時代になって、1615年の大坂の陣、1637年の島原の乱はあったが、それ以外、戦乱は全くと言っていいほど起こらなくなった。
人々は、平和とともに暮らしが豊かになるにつれて、ようやく、今を楽しむことを知るようになり、「憂き世」を「浮世」と書き換えるようになった。
漢字を一字変えただけで、全く、生き方が変わってしまうこともあるのだ。
ただ、この「浮き」は「定めのない、空しい」「浮わついた」という意味に解釈するようだ。
けれども、わたしは「うきうきする」の「浮き」だと思っている。