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金融資産をチェックするため、紀陽銀行をはじめ、みずほ銀行、三井住友、東京三菱UFJ銀行、野村證券、日興証券など、和歌山城周辺の金融機関を訪れた。
金融機関に入って一番豪華なのは、紀陽銀行本店である。店内に巨大な絵画作品が展示されている。
なかでも、中山忠彦の「姉妹」は出色である。中山忠彦作品で、これだけの大きさがあると価格は非常な高額となるはずだ。売ってもらえるなら、迷わず買う。
中山忠彦氏プロフィール
中山が永遠のモデル「良江」と出会うのは、1963年5月、写生旅行で乗った会津若松の近くのローカル線の中だった。列車を降りるとき、二つ前の席に座る女性に、東京の住所と、画家を目指していることなどを書いた紙切れを渡す。
「それは五月の十日前後、新緑のころでしたから、車窓から緑が照り映えて、なかなか雰囲気としては良かったですね。」(中山忠彦先生インタビュー)
間もなくはがきが届き、2年後に二人は結婚。そして、「YOSHIEは私の外部にある私の内部です」とまでいわれる二人の歩みがスタートしたのだった。
1970年に建てた国府台の最初のアトリエは、木造2階立てで、ローコスト住宅として雑誌にも紹介された。当初68坪の敷地だったが、空家になった隣地を買い足し、今の鉄筋のアトリエに改装されたのは、1993年のことである。市川時代も国府台木造時代も現在も、アトリエは北窓で、採光に気を配っている。アトリエにはオーディオセットがあり、モーツァルト・シューベルトなどを常時かけながら制作を続けている。妻との共通の好みである西洋アンティークの調度品が、空間に調和している。
プロフィール
1935年 3月20日福岡県小倉市(現北九州市)に生まれる
1944年) 1月 9歳戦争の激化にともない両親の出生地に疎開
1950年 4月 15歳県立中津西高(現中津南高)に入学
1953年 2月 18歳上京し、伊藤清永先生を紹介される
3月県立中津西高を卒業、東京芸術大学を受験するも不合格
11月 伊藤絵画研究所が開設され、内弟子として入門する
1958年 3月 23歳白日展に「群像」を出品し、会員に推挙される
10月 第1回日展に「二人」を出品
1963年 5月 28歳会津若松に写生旅行中、若林良江と出会う
1965年 3月 30歳若林良江と結婚
1966年 1月 31歳市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居
6月 木村又郎氏の好意と援助により仮アトリエ(12坪)が出来る
1969年 10月 改組第1回日展に「椅子に倚る」100号を出品し、特選受賞
1970年 9月 35歳市川市国府台に画室を新築して転居
1972年 6月 37歳初の欧州旅行(夫人と共に2ヶ月にわたりヨーロッパを旅行)
このころ、ヨーロッパのアンティークドレスを中心とした服飾品の蒐集を始める
1980年 3月 45歳白日展に「妝う」80号を出品し、内閣総理大臣賞を受賞
1981年 11月 日展に「縞衣」80号を出品し、特選受賞
1982年 6月 47歳渡仏してパリのケ・ボルテール15番地に滞在(9月まで)
1983年 10月 48歳「中山忠彦画集」を出版(求龍堂)
1990年 4月 55歳国際花と緑の博覧会の迎賓館・政府苑貴賓室に「花装」が展示される 11月 日展に「青衣」100号を出品し、日展会員賞受賞
2009年 74歳日展理事長就任~2013年