Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 7813

金融資産チェック

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1
 
金融資産をチェックするため、紀陽銀行をはじめ、みずほ銀行、三井住友、東京三菱UFJ銀行、野村證券、日興証券など、和歌山城周辺の金融機関を訪れた。
 
金融機関に入って一番豪華なのは、紀陽銀行本店である。店内に巨大な絵画作品が展示されている。
なかでも、中山忠彦の「姉妹」は出色である。中山忠彦作品で、これだけの大きさがあると価格は非常な高額となるはずだ。売ってもらえるなら、迷わず買う。
 
中山忠彦氏プロフィール
 中山が永遠のモデル「良江」と出会うのは、19635月、写生旅行で乗った会津若松の近くのローカル線の中だった。列車を降りるとき、二つ前の席に座る女性に、東京の住所と、画家を目指していることなどを書いた紙切れを渡す。
「それは五月の十日前後、新緑のころでしたから、車窓から緑が照り映えて、なかなか雰囲気としては良かったですね。」(中山忠彦先生インタビュー)
間もなくはがきが届き、2年後に二人は結婚。そして、「YOSHIEは私の外部にある私の内部です」とまでいわれる二人の歩みがスタートしたのだった。
 

1970年に建てた国府台の最初のアトリエは、木造2階立てで、ローコスト住宅として雑誌にも紹介された。当初68坪の敷地だったが、空家になった隣地を買い足し、今の鉄筋のアトリエに改装されたのは、1993年のことである。市川時代も国府台木造時代も現在も、アトリエは北窓で、採光に気を配っている。アトリエにはオーディオセットがあり、モーツァルト・シューベルトなどを常時かけながら制作を続けている。妻との共通の好みである西洋アンティークの調度品が、空間に調和している。

 
プロフィール
1935 320福岡県小倉市(現北九州市)に生まれる
1944) 1 9戦争の激化にともない両親の出生地に疎開
1950 4 15県立中津西高(現中津南高)に入学 
1953 2 18上京し、伊藤清永先生を紹介される
  3県立中津西高を卒業、東京芸術大学を受験するも不合格
   11 伊藤絵画研究所が開設され、内弟子として入門する
1958 3 23白日展に「群像」を出品し、会員に推挙される
  10 第1回日展に「二人」を出品
1963 5 28会津若松に写生旅行中、若林良江と出会う
1965 3 30若林良江と結婚

1966 1 31市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居

   6  木村又郎氏の好意と援助により仮アトリエ(12)が出来る

1969 10 改組第1回日展に「椅子に倚る」100号を出品し、特選受賞

1970 9 35市川市国府台に画室を新築して転居

1972 6 37初の欧州旅行(夫人と共に2ヶ月にわたりヨーロッパを旅行)

このころ、ヨーロッパのアンティークドレスを中心とした服飾品の蒐集を始める

1980 3 45白日展に「妝う」80号を出品し、内閣総理大臣賞を受賞

1981 11  日展に「縞衣」80号を出品し、特選受賞
1982 6 47渡仏してパリのケ・ボルテール15番地に滞在(9月まで)
1983 10 48「中山忠彦画集」を出版(求龍堂)
1990 4 55国際花と緑の博覧会の迎賓館・政府苑貴賓室に「花装」が展示される  11  日展に「青衣」100号を出品し、日展会員賞受賞
2009  74日展理事長就任~2013

Viewing all articles
Browse latest Browse all 7813

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>