もともとは、遠い将来まで見通してよく考えるという意味だった。「深謀遠慮」も「遠慮なければ近憂あり」もこの意味の「遠慮」だ。
遠い先のことまで配慮していると、すぐに行動に移らなくなることから、態度を控えめにするということになっていったようだ。
行動だけ残って、本来の思いはどこかに行ってしまったようだ。
こういうことはしばしばある。
悲しいと思っていても、体を動かしているうちに元気になる。
つらいと思っていても、無理に笑っていると明るくなる。
遠い先を見ていた視線が、目先に縮こまってしまうと、自分の心まで見失ってしまいそうになる。もう一度、視線を遠くに戻してみようと思う。