新しいお金が発行されると、必ずニセ金が出回る。
708年1月に武蔵の国秩父郡から大量の銅が産出されたのをきっかけに、元明天皇が年号を「慶雲」から708年1月11日「和銅」に変えた。
そして、翌2月からその銅を改鋳して「和同開珎」が造られるようになった。
ところが、「和同開珎」が発行されてまもなく朝廷は「私鋳禁止令」を出した。これはニセ金が出回ったためである。50年後には、本物の和同開珎とニセ金がほぼ半々になるほどだった。
そのため、ニセ金造りに対して、主犯は斬刑、その家族は流刑に処せられた。
だが、それでも密造者はあとを絶たなかった。刑の重さはニセ金造りには効力を持たなかった。
そこで朝廷は、彼らの技術を逆に利用しようと考え、密造者たちを捕らえて、和同開珎を造らせる強制労働をさせた。彼らに足かせをはめて、本物の和同開珎を造らせて社会に貢献させた。これで和同開珎は大量に製造されることになった。
ニセ金の多い和同開珎だが「開」の字に特徴があるので、見分けるときに役立ちます。