「松尾芭蕉と紀州」
俳句の創始者である松尾芭蕉は紀州にも足跡を残している。1688年、45歳になった松尾芭蕉は、春に生家のある伊賀上野(三重県)で父の三十三回忌を終えた後高野山を訪れた。高野山で詠んだのが、
「父母の しきりに恋し 雉の声」
句碑は奥の院の参道の中ほどにある。
その後、和歌浦を訪れ「行く春を わかの浦にて 追ひつきたり」
和歌浦と向かい合う紀三井寺で
「見上ぐれば 桜しもうて 紀三井寺」
「宗祇にも めぐりあひけり 遅ざくら」
(飯尾宗祇 室町時代の連歌の達人 紀伊出身と伝えられている)
粉河寺では「ひとつ脱いで うしろに負ひぬ 衣更え」
紀三井寺の桜が散っていたように、もう初夏になっていたようだ。
松尾芭蕉は、紀州を訪れた翌年の1689年から1691年にかけて東北地方を旅し、その紀行文が「おくのほそ道」である。
紀州を訪れてから6年後の1694年、再度上野に旅した帰途に寄った大阪で病気にかかり11月28日に亡くなった。享年51歳。
「旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る」
「おくのほそ道」は、1702年に京都の井筒屋から出版された。