1873年に定められた徴兵令にはいくつかの免除規定があった。
その免除規定を利用して徴兵を免れた一人に有名な彫刻家・高村光雲がいる。
東京・上野の西郷隆盛像を造ったのも高村光雲である。
1874年、光雲は徴兵令によって軍隊に入ることになった。当時、光雲は彫刻家・高村東雲のもとに弟子入りし修行中の身だったが、東雲はできれば才能のある光雲を軍隊にやりたくないと考え、徴兵令を調べてみた。すると、徴兵令にはいくつかの免除規定があることを知った。
免除規定とは、270円を政府に支払えば軍隊に行かずに済んだ。ほかにも、長男は対象外であり、長男でなくても親が一人以上いて戸主であれば徴兵は免除された。
しかし、光雲は次男で金もなく、三つの条件が適用されなかった。
そこで、東雲は家にいた自分の姉に家を一軒持たせ、光雲を姉の養子にすると同時に戸主にすることにした。これで徴兵から逃れることができた。
高村光雲の本名は中島光蔵だが、このようにして中島から高村に改姓した。
画像は中学校の歴史の教科書にも登場する高村光雲の「老猿」です。