京都市北部にある鹿苑寺にある金閣は三層の造りだが、上部二層に金箔が張られ室町時代の北山文化を代表する建造物である。
金箔の下には金の美しさを最大限に引き出すために漆が塗られるなど当時の建築技術の粋を集めた建築物で、数々の戦火をかいくぐってきた北山文化唯一の遺構でしたが1950年7月2日に放火で焼失した。現在の金閣は1955年に復元されたもので金箔は金閣の2,3階部分の内外に張られており(焼失前は3階部分にのみ金箔が使用されていた)、金箔に使用された金の総重量は20kgにも及ぶ。
金閣は三層の造りとなっており、1階は公家風の寝殿造で阿弥陀堂になっており、2階は武家造りの住居、3階は禅宗様式になっており仏舎利が安置されている。
金箔貼りの金閣は世界でもっとも美しい建物のひとつといわれている。特に雪化粧した金閣寺の光景は絶景。元々は足利将軍3代目義満の別荘として改築されたが、義満の遺言により寺となった。金閣の二層目、三層目には金箔が張られ金閣寺の名前の由来となっている。
三層の金閣の正式名称は舎利殿といい、金閣の一層は寝殿造りの「法水院」、二層目は武家造りの「潮音洞」、三層目は禅宗の仏間で「究竟頂(くつきょうちょう)」と呼ばれている。
金閣は時の権力者である足利義満が、最高権力者として自分の存在を誇示する為に作られた。建物は屋根の頂上に鳳凰が乗っている。
1階部分の寝殿造りとは平安貴族の住居様式であり、1階だけ金箔が張られていない地味な造りとなっている。3階や屋根の鳳凰が足利義満を表しているとされている。