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四役戦亡記念碑

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明治初期の四戦役における和歌山県出身兵士の慰霊碑
 
イメージ 1
岡公園の中にある「天妃山」の山頂に碑がある。
これは「四役戦亡記念碑」と言われるもので、明治時代初期に行われた4つの戦役、
1874年佐賀の乱、台湾出兵、1876年神風連の乱、1877年西南戦争に参加して亡くなった491人の和歌山県出身の兵士の慰霊のために建立された。
建立されたのは1879年で、これを契機として天妃山全体の公園整備が行われたので、いわばこの記念碑が岡公園のルーツといえる。
 
1869年、紀州藩ではプロイセン(ドイツ)から軍事顧問を招き、14千人にのぼる本格的洋式軍隊を養成する。また、和歌浦の法福寺住職であった北畠道龍が率いる民兵組織「法福寺隊」も精強で知られていた。ところが、1871年の廃藩置県によりこれらの紀州藩の軍事勢力は消滅し、一部は明治新政府へと移行されたが、和歌山に残った者も数多くいたようだ。
 
この時期に発生した4つの戦役において、政府軍として活躍をした兵士の中にはこうした訓練を受けた紀州藩出身の者が数多くいた。また、和歌山に残った者の中でも政府軍に志願兵として参加した者も多く、西南戦争に参加した7,500余名の志願兵のうち4分の1が紀州藩の出身であったといわれている。
 
この碑は、旧紀州藩14代藩主徳川茂承と旧紀州藩出身の陸軍将校らの発起によって1879年に建立されたもので、碑の文字は有栖川宮熾仁親王の揮毫による。

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