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Channel: 悠々美術館通信
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「ツタンカーメンと科学」

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ツタンカーメンは、今からおよそ3300年前のエジプト王である。
若くして突然の死を迎えたツタンカーメンは、ミイラにされ王家の谷に埋葬された。
 
そのまま長く砂漠の中で静かに眠っていたが、1922114日、イギリスの考古学者ハワード・カーターにより発見、発掘された。
 
ツタンカーメンは王墓としてはきわめて珍しいことに3000年以上の間、ほとんど盗掘を受けなかった。ツタンカーメンのミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土した。
 
その発掘は世界を大いに驚かせた。
発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたという流言が世に広まり、それをきっかけとして『ファラオの呪い』という伝説が高まった。
 
 
また、ツタンカーメンのミイラに大きな外傷があったことから、ツタンカーメンは暗殺されたのではないかと疑われた。
 
だが、いくつかの傷はミイラを文化財として大事にしない20世紀前半の風潮のために発掘時につけられたものであったことが明らかになっている。
 

ツタンカーメンのミイラと、黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品は、カイロにあるエジプト考古学博物館に収蔵されて観光客に公開されている。

またツタンカーメンの墓には出産直後か死産かと見られる二体の子供のミイラも一緒に葬られており、大きい方はツタンカーメンの娘であるとDNA鑑定された。小さい方は防腐剤の影響により鑑定不能。
 
その他、ツタンカーメンの墓からはエンドウ豆も発見されている。墓には死後の備えとして入れられた食物の中に穀物の入った壷があり、その中にエンドウ豆も入っていた。
 
 
このツタンカーメンのミイラが2005年に改めて現代科学によって調査された。CTスキャンによって行われた調査によってツタンカーメンは19歳で亡くなったことがわかった。
また、身長は165㎝で、体格はかなり華奢であることがわかった。
 
 
2010年、アメリカの医学誌「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」で、ツタンカーメンはアクエンアテン(アメンホテプ4世)とその姉妹の1人との間に生まれ、骨折にマラリアが重なって死亡した可能性が高いことが、エジプト考古学チームによるDNA鑑定やCTスキャンによる調査で分かった」と公表された。
 
足が不自由であるため、転倒して足を骨折し、マラリアが命取りになった。また歩くのに杖をついていた虚弱な王だったとしている。埋葬品の130本もの杖は全て実際に使用されていたと思われる磨り減った跡がある。
 
ツタンカーメンは自分の姉を妻に娶ったこともわかってきた。
 
 
ツタンカーメンの死因が特定されていなかった当時、大腿骨の骨折から数日で死亡したことだけが確認されていた事から、他殺説が最も有力な説とされていた。
 
2010年、エジプト考古学研究グループによるCTスキャンを初めとしたDNAや放射線調査により、ツタンカーメンは近親交配で生まれた事による遺伝による先天的な疾患を多数患っていた可能性が非常に高いことが確認されている。
 
具体的には変形した背骨、欠損した足の指、臓器疾患の跡等が確認されており、特に直接の死因は足および大腿骨の骨折と、マラリアの合併症による体調不良の悪化が原因であるという証拠が多数見つかった。

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