徳川家光
3代将軍徳川家光は、家康や秀忠のように戦国時代を潜り抜けてはいなかった。生まれた時から将軍の子として育ったので、苦労知らずで傲慢な側面を持っていた。
家光は、幕藩体制を確立し、キリシタン農民による島原の乱以降、オランダ・中国・朝鮮・琉球を除き日本との貿易を禁止し、鎖国体制を作りあげた。もっとも、鎖国と言っても日本にはオランダを通じて諸外国の物品・情報は入っていた。
家光は父以上に大名の改易を行い、弟の徳川忠長、熊本藩主「加藤忠広」(加藤清正の子)を筆頭に、外様29家、譜代・親藩20家の合計400万石を改易し、これらは家光の側近や、親藩などに与えられた。しかし、おびただしい数の浪人が発生し、怨嗟の声で渦巻くこととなった。