奈良の興福寺で阿修羅像を拝観したときに、像に添えられた説明文を書き留めて帰った。
そこには阿修羅の語源は二つの相矛盾する説があるのだという。
一つは「非」(A)「天」(SURA)=「天にあらず」で文字通り地獄である。
もう一つは「生命(ASU)を与える(RA)」で、こちらは再生への希望が感じられる。
辛い出来事や屈辱の記憶が、人の心に修羅の炎をもたらすのは確かだとしても、その先は語源説と同じく、二つに分かれるのかもしれない。
炎が身を焼き滅ぼすにまかせるか、それとも、炎を松明にして、あかあかと人生の夜道を照らしていくか、できるなら後者でありたいと願うのは誰しも同じである。
「成功」というのは見方によっては、そう難しいことではない。倒れた回数より起き上がった回数のほうが1回多いだけのことである。
次に立ち上がる1回分の力を発揮すればいいだけのことだ。