本能寺の変
1582年6月2日
織田信長が「人間50年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の 如くなり
ひとたび生をうけて 滅するもののあるべきか」という謡曲『敦盛』の一節を愛唱したことは有名だが、信長は、もう一つ小唄を愛唱した。
「死のうは一定 しのび草には何をしようぞ 一定かたりをこすよの」
必ず死ぬのだから、しのび草には何をしようか。みんな、きっと思い出し、話の種にしてくれるだろう
数々の偲び草を残し、次々と夢をかなえていった信長も明智光秀の裏切りによって本能寺を包囲され「是非もなし」(しかたない)という言葉を残して、この世を去った。
この言葉を、悔いなく生きた人の潔い言葉ととるか、信長を本当の「幸せな成功者」ではなかったととるかは、人それぞれでしょう。
けれども、信長が残した偲び草は、400年以上も枯れないで、人々の心に生き続けている。