「けっこう力はあるな……離れてノックを見ていると、センターラインを中心にかなりまとまっているんです」小林は、そう思ったという。帝京第五の監督に内定し、こっそり視察に来たときのことだ。
今年度から帝京第五の監督に就任した小林昭則は、1985年帝京がセンバツで準優勝したときのエースだ。決勝では伊野商(高知)に敗れたものの広島商、東海大五(福岡)、そしてあの池田(徳島)と、難敵相手に3完封を記録する好投だった。
帝京から進んだ筑波大では通算25勝し、2年秋の神宮大会では、国立大初の全国優勝に貢献。89年にドラフト2位指名でロッテに入団し、96年までプロ生活を送った。
「大学ではサッカーの井原(正巳)、中山(雅史)、バレーの中垣内(祐一)らと同期。国立からドラフト入団ということで、当時は僕が一番有名でしたが、プロでは全然。知名度では彼らにすぐ抜かれましたね(笑)」
99年に母校・帝京の教員となり、02年から10年までは前田監督のもとでコーチを務めた。その後はバスケットボールの顧問を務めるなどしたが、今回の監督就任はいわば帝京グループの人事異動である。
50歳を前にしての初監督で「狙いに行く」
帝京第五は、69年のセンバツに出場している。だがそれ以後、夏の決勝で4度敗れるなど、甲子園にはあと一歩届いていない。つまり小林ではないがもともと、「けっこう力はある」のだ。だが、単身赴任した小林はまず、愕然とした。
「たとえば寮での食事ひとつとっても、各自バラバラに食べて、食べたら食器は出しっ放し。日常生活のマナーそのものがなっていませんでした。だから、力はあってもいざ試合になると、練習でできたことができない。週に2回寮に泊まり込み、日常に秩序を持たせることから取りかかりました」
むろん練習も、本家・帝京ばりの厳しさだ。それまで勝手気ままに振る舞っていた部員たちにとっては、「もう無理や、と思うこともありました」(細見優己也主将) という毎日である。
それでも、小林監督の初陣だった春季大会は、ベスト8。準々決勝では優勝した川之江に敗れたが、それも延長13回タイブレークだから、確かに力はある。外野兼投手の細見は、左腕から安定した投球を見せるし、四番を打つ木本将吾はプロ注目で、粗削りながらその飛距離は途方もない。
当初、強豪との練習試合では負けが込んでいた帝京第五だが、いまでは互角に戦えるようになってきた。先日は、高知8強クラスの岡豊に連勝。岡豊を率いる山中直人監督は、85年のセンバツ決勝で小林が敗れた伊野商を指揮していた、その人である。
「何年で甲子園、とよく聞かれますが、今年の愛媛は力の差がない印象。監督には筑波の後輩も多くいますし、この夏から狙いに行きますよ」