「Mastery for Service」は、「奉仕のための修練」という意味で関西(かんせい)学院大学の校訓である。
わたしは、高校3年生の6月末に父親を交通事故で亡くした。
深夜に警察から連絡があり「交通事故にあい、症状は重いので急いで病院へ来てください」という内容だった。母と二人で病院へ駆けつけると、父の顔には白い布がかけられていて、それが事態を物語っていた。
驚いたことに、母親は医者に「うちの人、大丈夫なのでしょうか?」と尋ねた。
非常に悲しい出来事に遭遇すると、人はそれをまともに受け止めたくないという心理が働くのかもしれない。
その後、わたしは高校3年生だったので、進学希望から就職希望に変えた。ところが、就職がうまくいかなかったため、結局、進学することになった。
父親が健在であったころは慶応大学を目指していたが、父親が亡くなってからは、まともに受験勉強をしなくなった。
夏休みに、やたらと釣りをした。釣りをしてウキを眺めていると、父親を亡くしたという喪失感をそのときだけ忘れることができた。
母親が専業主婦だったため金のことが心配で、大学受験は渋々だった。
しかし、父親がいなくなったことやお金の心配で、心理的に追い詰められていて、感覚がものすごくシャープになっていた。
追い詰められて心理的にシャープになっていたためか、入学試験は、いつもより出来が良かったように思う。
関西学院大学に入学してみると、入試成績が1位だったということで特別待遇生に選ばれ、年間27万円の授業料が無料になった。
高校の内申がパッとしないのに、入試で高得点をあげたため「いったいどこの高校出身か」
と尋ねられた。
さらに、入学後も毎月2万3000円の特別奨学金が支給された。このお金も返済しなくてよかった。
思えば、慶応をあきらめて関西学院へ進学したことが、私にとって幸運の鍵だった。
大学を卒業してずいぶん経つが、関西学院の校訓「Mastery for Service」が自分の中で重みを持つようになってきた。
10代、20代のころは貧しかったが、今は少しは余裕もできている。お辞めになった猪瀬東京都知事が、徳洲会から5000万円を融通してもらった責任を問われたが、今の私には「東京都知事なのに5000万円がないのか」と、お金の感覚が若いころとずいぶん変化している。
お金の心配をさほどしなくてよくなったそのぶん「奉仕のための修練」を目指したい。
ここでの奉仕とは、私が今生きている社会に対して向けられたものであり、修練とは、それらに対して貢献できる力を自ら鍛えることを意味している。
「人々に奉仕できる、社会に役立つ知識と人間性を、自らの主体性を持って磨き上げよ」
という校訓を実践したいと願っている。
ここ15年くらい、ありがたいことに、毎年「どうか我が校に変わってきてください」というオファーがある。
わたしは、私を大切に思ってくれている方々にできるだけ貢献したいと願っています。
今年度も残り1か月です。今の職場にできるだけ力を尽くして、来期につなげたいです。