「リクルート事件」
リクルートの創業者で、政財官界を巻き込んだ「リクルート事件」で贈賄罪に問われ有罪判決を受けた同社元会長の江副浩正(えぞえ・ひろまさ)氏が2013年2月8日午後、東京都内の病院で死去した。1936年大阪府生まれ。
1960年に広告会社を創業。その後、リクルートに社名変更し、就職情報誌や情報通信分野のほか、バブル経済の波にも乗って金融業、リゾート開発にも手を広げ、「ベンチャー起業家の草分け」とも呼ばれた。
1988年、リクルートにより関連会社リクルート・コスモス社未公開株が、中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家や官僚・財界に、店頭公開前に譲渡していたことが相次いで発覚。
リクルートの江副浩正会長は、急成長する自社に政治的・財界的に地位を高めようと、有力政治家・官僚・NTTの3つをターゲットに未公開株をばら撒いた。
値上がり確実な未公開株を店頭公開前に譲渡することで実質の利益を供与するものであった。
リクルート株は、一株3000円に対して初値5270円が付いた。
リクルート事件で未公開株が譲渡された人物は約150名、株式はおよそ200万株に上り、大きな社会問題になった。
しかし、大物議員は逮捕されず「政治不信」だけが残った。
リクルートの江副会長、NTTの真藤会長とその秘書らが逮捕。
政治家は自民党の藤波孝生議員、公明党の池田克也議員が在宅起訴されただけ。
大物議員に対する捜査はうやむやのうちに終わり、国民の間には、「政治不信」だけが残ることとなった
中曽根康弘が29000株、竹下登・宮沢喜一・渡辺美智雄・加藤紘一らが10000株前後の未公開株を譲渡されていたとされ、1990年代前半の「政治改革」の契機となる。
1989年6月3日、当時の竹下内閣が総辞職。
事件以降「政治改革」が1990年代前半の最も重要な政治テーマとなり、小選挙区比例代表並立制を柱とする選挙制度改革・政党助成金制度・閣僚の資産公開等が導入された。