大器晩成
ファーブルが「昆虫記」を書きはじめたのは56歳。不朽の名著全10巻はこの年齢でスタートした。
漫画家としてなかなか世に出なかったやなせたかし氏が「アンパンマン」を世に送り出したのは54歳。それまでは、ろくに仕事がなかった。やなせ氏が作詞した「手のひらを太陽に」は、不遇の下積み時代、することもなくランプの電球に手をかざしていてうかんだ詩という。
森光子さんならば41歳。役に恵まれなかった森さんが、劇作家・菊田一夫の目にとまり初めての主役「放浪記」で女優開眼をとげたのはその年齢である。
当時は、関西で仕事をしていたが、ドラマをつくるとなるとヒロインは東京から呼ぶ。2番手、3番手の女優も東京の役者が占め、森さんには良くて4番手、5番手の役しか回ってこない。悔しい思いをしていたという。
「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」
これは、森光子さんが売れずに悔しい思いをしていたときにつくった川柳で、楽屋の川柳大会で金賞を受賞。
国民栄誉賞に輝く大女優にしてこの句あり。
それぞれに、分野は違えども、大器晩成の人々は、人生の応援団である。