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三つの顔を持つ男 サマセット・モーム

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三つの顔を持つ男 サマセット・モーム
 
サマセット・モームは1874125日、フランス、パリ生まれ。
サマセット・モームは人気の高い小説家として有名だが、それ以外に医師、そしてスパイという別の顔を持っていた。
 
彼が、いろいろな顔を持つようになったのは、10歳で孤児となり、孤独な10歳代を送ったことが背景にあると考えられる。
 

両親ともにイギリス人で、父ロバートはパリのイギリス大使館勤務の顧問弁護士で、母とは17歳離れており、母メアリは名家の出身で軍人の娘、非常な美人でパリ社交界でも花形であった。

ところが、8歳のときに母が肺結核で、10歳のときに父が癌で没し、一家はバラバラとなる。モームはイングランドで、牧師をしていた叔父ヘンリー・マクドナルドのもとに引き取られた。叔父とは不仲で、慣れない田舎暮らしで孤独な生活を強いられた。13歳でカンタベリーのキングズ・スクールに入るが、英語をうまくしゃべれず、加えて生来の吃音のため迫害され、生涯のコンプレックスとなった。
 
そのため、多くの人と接する法律家や牧師の仕事が不向きと悟り、作家を目指すようになるが、牧師を望む叔父と対立し、結局18歳の時に、ロンドンの医学校に入学する。学業には打ち込まず、主に耽美派などの文学書を読みふけった。また貧民街に居住し、インターンで病院勤務したことで、赤裸々な人間の本質をよく知ることとなった。
 
この間の経験を生かし、1897年にフランス自然主義文学に学んだ処女作『ランペスのライザ』を出版、一定の評価を得るが、売れ行きは芳しくなかった。同時期に卒業し、医師の資格を得た。文学者となることを決め、その後も作品を発表し続けたが成果を得られず、試行錯誤を繰り返した。
 
1914年、第一次世界大戦が起こると、志願してベルギー戦線の赤十字野戦病院に勤務した。やがて諜報機関に転属、スイス・ジュネーヴに滞在しスパイ活動を行う。1915年に大作『人間の絆』が出版されたが、戦時中だったため注目されなかった。だが同時期に書いた戯曲『おえら方』は、1917年にアメリカで上演されて大成功を収めた。この時期に結婚し、一人娘ライザが誕生した。
 
1917年にアメリカから日本、シベリアを経由し、ペトログラードへと向かった。ロシア革命の渦中のペトログラートでは、MI6の諜報員として革命派の資金援助をした。
 
1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。

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