極楽に異性がいない理由
「女の行く極楽に男はおらんぞ 男の行く極楽に女はいない」(泉鏡花)
泉鏡花(1873~1939)によれば、恋慕の情は常に憎しみと表裏であり、極楽に憎しみが存在しない以上、甘い恋だけが存在するわけはなく、極楽が銭湯のように男女別に分かれていたとしてもそう不思議なことではない。
堀口大学に「なげき」と題された詩がある。
「愛せらるるは薔薇の花 愛することは薔薇の棘(とげ)
花はあまりに散り易し 棘があまりに身に痛し」と続く。
愛されるのは長続きしないし、愛するのは痛いし、男女の仲は辛いことばかりである。
それでも、極楽で異性に接する機会がないのなら、この世でせいぜい棘に刺されておくに限る。