1月1日、暇なので和歌山のジストシネマで「海難1890」を見た。
日本よりおよそ9000kmも離れたトルコ共和国。トルコと日本は、長きに渡り交流を深めてきた。そして2015年、日本トルコ友好125周年を迎える。遥か海を越えた両国の友好には、歴史の裏に隠された2つの知られざる物語があった―。
1890年9月、オスマン帝国最初の親善訪日使節団を載せた軍艦「エルトゥールル号」は、その帰路の途中、和歌山県串本町沖で海難事故を起こし座礁、大破。乗組員618人が暴風雨の吹き荒れる大海原に投げ出され、500名以上の犠牲者を出してしまう。しかし、この大惨事の中、地元住民による献身的な救助活動が行われた。言葉の通じない中、避難した小学校では村中の医師が集まり応急手当を行い、台風の影響で残りわずかな蓄えにもかかわらず、食糧や衣類を提供。そのおかげで69名の命が救われ、無事トルコへ帰還する事が出来た。この出来事によりこの地で結ばれた絆は、トルコの人々の心に深く刻まれていった。
そして、時は流れ1985年、イラン・イラク戦争勃発。サダム・フセインのイラン上空航空機に対する無差別攻撃宣言によって緊張が高まった。この宣言後、在イランの自国民救出の為、各国は救援機を飛ばし次々とイランを脱出。しかし、日本政府は救援機を飛ばすことが危険と判断し救助要請に応えなかった。テヘランに残された日本人は215人。テヘランの国際空港で誰も助けの来ない危機的状況に陥り絶望の淵に立たされた。
この状況を打開すべく、日本大使館はトルコへ日本人救出を依頼。
トルコ首相は、それを快く承諾。まだ500人近くのトルコ人がテヘランに残っていたにも関わらず、日本人に優先的に飛行機の席を譲ったのだった。
なぜ、テヘランに残されたトルコの人々は日本人に優先的に席を譲ったのか?
それは、エルトゥールル号遭難事件と日本人の献身的な救助活動がトルコの教科書に掲載されていて、トルコ人ならだれでも知っていたからだ。
わたしは、トルコの教科書に掲載されているエルトゥールル号遭難事件を日本の歴史の教科書(中学校)にも掲載されるよう働きかけてきた。8年前では7社中1社しか掲載されていなかったのが、8年間の間にほとんどの歴史の教科書に掲載されるようになった。
時代を超えて受け継がれてきた人々の絆・真心。現代に至るまで日本とトルコの友好関係の源泉となっているこの2つの壮大な物語は、全ての日本人、トルコ人の心に響く感動の超大作といえる。
この映画を通じて、全世界の人々がこの二つの事件と両国を結びつきを知ってもらえることを期待しています。
映画は、史実を大切にゆっくりと展開されますが、無理なアクションや演出はせず、両国の人々の人間的な結びつきを主体として描かれていることに好感が持てました。
日本とトルコの国家間レベルの合作映画であり、映画によって両国の結びつきがさらに深まるような優れた内容です。